2008年08月20日

知られざる「昭和の軍師」安岡正篤(その1)

昭和14年(1939年)、第2次大戦が始まる直前。安岡正篤(まさひろ)はドイツ・ベルリンにいた。
「なるほど貴殿のお話は非常に面白い。もっと話を聞かせてもらえないか」
次から次へと部屋に入ってくる秘書の電話や面会の取次ぎを断り、
安岡の話を当初30分の予定を大幅に延長し、
会談したその主は、ヒトラー総統の右腕・ナンバー2のルドルフ・ヘスだ。
東洋の小さな国の名も無いオヤジの話をなぜ予定を延長してまで聞き入ってしまったのか。

昭和20年8月、第二次大戦終結。日本は敗戦。
天皇のお言葉がラジオによって流れた。玉音放送だ。
この原稿を手直ししたのが安岡だ。
昭和天皇が子供のとき家庭教師まで頼まれた安岡とは(実際断っている)、いったい何者なのか。

敗戦後本来ならば、ドイツ同様に敗戦での巨額の賠償金がかからなければならないのに、
当時中国を治める蒋介石が「日本の分割統治放棄、賠償金も求めない」としたことから、難を逃れた。
蒋介石と安岡との関係はどのようなものだったのか。

昨年大相撲で不祥事のあった名古屋の時津風部屋。
その部屋には安岡が揮毫した「木鶏(もっけい)」という書が掲げられている。
時津風部屋を興した横綱・双葉山と安岡の関係は、どうだったのか。  

昭和史を語る上で、必要べからざる人物。それが安岡正篤だ。
しかし、もちろん日本史の教科書にも登場しなければ、
本人自身もけっして表に出てくるのを拒み続けた史上稀に見る人物だ。
偉大なる安岡の人間像に迫る。  (敬称略、つづく)
(写真はニュルンベルグ裁判。前列奥がゲーリングで、その隣にいるのがヘス)
ニュルンベルグ裁判

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2008年08月19日

吉田松陰と安岡正篤

吉田松陰「いささか才があるために、気魄が十分に伸びない。
人間は、気魄が衰えれば識見も昏(くら)んでくるものだ。気をつけよ」(吉田松陰)

「私は石が好きである。石を見ていると、五欲銷尽(ごよくしょうじん→無欲になる)して六根闃寂(ろっこんげきせき→迷いがなくなる)たるを覚える。
秋冬になると、いわゆる木落ち水尽き千崖枯れて、天地に露出する石壁に対することができる。
迥然(けいぜん→孤独に)我亦見真吾
と翁一瓢(おういったん→朱子のこと)が詠じたがうなずかざるを得ない。
山間の渓流に横たわっている厳石にも一日坐して飽かぬものが多い」(安岡正篤)安岡正篤

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2008年08月18日

永田町の暗闘(その6)

さきほど早朝のNHKニュースを見ていると、女性アナウンサーが「トビシリ」「トビシリ」と3〜4回いうので、(隣の男性アナウンサーもなぜ間違いに気づかないのかなぁ)と思いながら、訂正があったのは約10分後。「申し訳ありません。トビリシの間違いでした」と、グルジアの首都はようやく正確に発音された。
NHKだけではない。「朝ズバ」でも以前、「チョウソンハ」「チョウソンハ」というので、(なんのこっちゃ)と思いながら見ていると、「失礼しました。町村派の間違いでした」とお詫び。
コメンテーターの末吉氏にみのもんたが「40(歳)にして、立つですよね」と同意を求めると、「40にして惑わずですよ」と末吉氏なら訂正を入れてくれるだろうと見ていると、「40にして立つですよ」と勘違いする始末。正確には、「吾、15にして学に志し、30にして立ち、40にして惑わず、50にして天命を知る。60にして耳順(したが)う、70にして心の欲するところに従って矩(のり)をこえず」。
高給が保証されるプロでさえ、この体たらく。
こりゃ素人の国民は、麻生太郎氏がいうように、マンガを見ていたほうがまだましかもしれない。

サンプロに出演する森元首相
永田町の暗闘(最終回)
昨日の「サンプロ」で、意味深長な発言を続けた森元首相。「ポスト福田は麻生だ」と断言せざるをえないほど、自民党は危機に陥っている証左だろう。
最新号「週刊朝日」の総選挙当落予想が事実ならば、自民党は大惨敗だ。が、当の自民党議員のブログを眺めてみると、その危機感はあまり感じられない。民主党の代表選挙に言及する暇があるなら、自民党の「今そこにある危機」に対して、どう改革し対処するかを書くべきだろう。

明治天皇が愛読されていた『宋名臣言行録』にこうある。
人物を鑑定することに長(た)けていた名相・張詠が、推挙し任用した者はみな方廉恬退(ほうれんてんたい→心が正しく清廉潔白で、地位にとらわれずあっさりと身を退くこと)の人物だったという。
つまり、ことに当たっては、きまりのある、物を欲しがらぬ、平気で浪人の出来る人物のことだ。

張詠はこう見る。
「人と出世を競い、走り回るような人物は自分で何かを獲得するから、何も私がわざわざ推挙任用することもない。
こういう者は己を曲げてつかえ、媚(こ)び諂(へつら)い、人に知られようとする。
もしこれを挙用すれば、必ず才に誇り、利を好み、推薦者に累(るい)を及ぼすことも少なくない。
人を用いるにはよく身を退く者に限る。
こういう者は必ずや廉謹(れんきん→無欲でつつしみ深い)で恥を知る。
これを挙用すれば、忠節いよいよ堅く、失敗が少ない」

森元首相は考えを改めるべきだろう。でなければ、自民党は道を誤る。(了)
(写真は明治天皇)
明治天皇

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2008年08月12日

言を知らずんば以って人を知る無きなり

男と女「人物を評価する場合、正面から取っ組んでいくよりも、その裏側の『色』の面から見たほうが正確に人間像を把握できる。というのは、『色』には人格が反映するからだ。僕は男の本性を見抜く1つの方便を持っている。それは男と女が一緒になる時ではない。女との別れ際が大切なんだ。大体、男と女はほっておいてもくっつくものだ。しかし、女との別れ際ほど男の本性がハッキリと出るものはない。冷たい男は冷たい別れ方をする。唯物主義の男は札束で頬をはるような別れ方をするが、情のある男は同じ分かれ方でも、脇から見ていて涙を誘う切々たるものを残す。世間一般は、男と女が一緒になる時は随分あれこれ騒ぐものだ。ところが分かれる時には案外さっぱりと聞き流してしまう。人物を見抜くには、その逆をいかなければならない。別れ際の男の態度をしっかり見極めることだ。
そして大きな声じゃ言えんけど、40歳を過ぎてなお女房以外の女に惚れられないような男は、我々同性から見てもあまり魅力がないな。<外へ出たなら惚れられしゃんせ、そして惚れずに帰りゃんせ>せめて女性から、こんな思いを託される男にならなくちゃな」
野村證券元会長の奥村綱雄(故人)は、人間洞察の物指しとして「色」を見た。


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2008年08月11日

永田町の暗闘(その5)

「池田名誉会長は何回訴えられても、何とも思っていません。裁判では、創価学会の顧問弁護士が10人近くずらーっと並ぶ。原告の弁護士は1人か2人ですから、もうその時点でだいたい裁判官の心証もほぼ決まる。名誉会長は出廷せずに済むから、何も恐れることはない。が、国会招致となると、大問題だ。参考人質疑だろうが、証人喚問だろうが、本人が出向かなければならない。代理人はきかない。だから公明党は全党挙げて、これを阻止するために動いているのです」(永田町関係者)

いったい矢野氏は何を目論んでいるのか。そのヒントは、さる6月13日に行われた「矢野絢也さんより話を聞く会」での話の内容にある。大事な部分を下記に引用する。

「公明党書記長として、創価学会の意を受け、いろいろな問題を処理し、大きな声では言えないようなこともしてきた。今となっては、あれはやりすぎだった」
「非課税でつくられ、運営されている創価学会の施設が、選挙期間中は24時間体制で、公明党の拠点として使われている。運動してくれた方々の日当、電話代、会場使用料もかからない。これが聖教一致になるかは議論されるべきだ」
「私が議員を辞める15年前までは、池田名誉会長のお誕生日にお祝いを持っていったり、創価学会の記念日や選挙で当選したお礼などでお金を贈っていた。その会計処理については、創価学会に聞いて欲しい」

矢野氏の「爆弾発言」が、信濃町と公明党にどれだけ影響を及ぼしているか。公明党としては、年内解散に持ち込んで、池田名誉会長国会招致阻止に持ち込みたいところだろう。そのためには、自民党の幹事長の首を挿(す)げ替えることなど、お茶の子さいさいなのだ。
与党で連立を組む自民党は、年内解散では大惨敗の恐れもあり、福田首相はその場合、「総辞職」という選択肢しかなくなってきた。
まさに、公明党と民主党から「王手」をかけられたも同然だ。(つづく)
(写真は舞を披露する池田名誉会長、ご本人もお気に入りのショット)
舞う池田名誉会長

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