九州・大分というところは、鎌倉の時代から別府は湯治場として全国でも有名だった。秀吉から与えられた豊前・中津を統治した黒田如水もおそらく1回くらいは別府の温泉に浸かったに違いない。中津からは幕末、今の1万円札で有名な、慶應義塾大学を創った福沢諭吉翁が出た。如水のDNAだろう。同じ幕末、隣の日田でも大教育者・大儒学者が出た。広瀬淡窓(たんそう、写真)である。私塾・咸宜園(かんぎえん、下の写真)を開き、門下生は何と3000人。遠くは北海道から馳せ参じた者もいた。
(ちなみに現大分県知事・広瀬勝貞氏は淡窓の子孫にあたる。大分は昔、豊の国と呼ばれ、「その豊かさをみんなで大きく分けよう」ということからのちに大分と名が付いた)
ある時、淡窓の父の俳句の師匠のところに1人の弟子が海鼠(なまこ)の句を作り、その添削を頼んだことがある。
板の間に 下女取り落す 海鼠かな
この句を見て俳句の先生は、「道具建てが多い」といって返してきた。
たしかにこのままでは、下女がメインなのか、海鼠がメインなのかが分からなくなる。
そこで弟子は、下女を省いた。
板の間に 取り落としたる 海鼠かな
すると先生は、「だいぶよくなってきた。もう一息だ」といって返してきた。
取り落とし 取り落としたる 海鼠かな
と、考え抜いて出してみると、「これでよし!」と先生はいう。
「取り落とし」を2度も強調することで、海鼠の生命が生き生きと働いているところが表現できる。
下女も板の間も余計だというものだ。
余計なものを除けば本物が表れる。
人間も同じだと淡窓は教える。
履歴書だけでは人間は分からぬというわけだ。

