牧野と激論した年の前年、大正12年(1923年)。
この年の9月1日に関東大震災が起きたが、その少し前の6月10日、
安岡は元海軍大臣、元海軍大将の八代六郎男爵の新築したばかりの自宅にいた。
「君は、王陽明(中国の陽明学の祖)についてどう思うか」
と八代大将に質問され、
「わしはこう思うが」とまずは八代の自説が展開されると
「先生、それは違います」と安岡は言葉をさえぎり、
とくとくと持論を述べ続けた。
夕方7時からはじまった会合も、ときはすでに12時近くになっていた。
さすがの八代夫人も気を遣い、安岡に、
「すでに12時近くなっております。そろそろお時間かと」と告げる。
「ハッと」気づくと安岡の前には、日本酒の一升瓶が5本空けられている。
八代が3本、安岡が2本空けた勘定だ。
「先生、今日のところは、この辺で」と失礼しようとすると、
八代は「貴様、逃げるのか」と言って、安岡を放そうとしない。
八代は夫人と問答した挙句、安岡は無事に解放された。
このとき記念にと、安岡が帰りがけにもらった徳利(とっくり)の箱には、
「与城山八代将軍轟醉于八代家持之而帰」と記されている。
訳せば、(さすがの酒豪の八代将軍も酔うだけ酔い、記念に頂戴した品)とでもいうところだろうか。
それから1週間後、安岡の自宅に紋付袴姿の御仁が現れた。
八代だ。
「安岡先生、わしを弟子にしてください」
このとき八代大将、64歳。
安岡はこのときの模様をのちにこう述懐している。
「大将は陽明学の講義を請われ、その代わりに兵法の書である『六韜(りくとう)』と『三略(さんりゃく)』を講じてもらうことを約束した。
私は陸王の学を語るとともに、大将からはハルト兵学、ジョミニ兵法論に基づく兵法哲学を傾聴した」
安岡はその後すぐ海軍大学校で1年半、
「日本・東洋古今の武士道学」と題して講義を始めた。
このときの幹事を務めたのが、のちの元帥、山本五十六・中佐だった。
安岡と山本はこの1年半の付き合いの中で、
生涯の知己としての交りを結んだ。
八代邸での一夜の酒が、のちの日本の歴史を大きく揺さぶることになろうとは、
もちろん安岡自身もまだ気づいてはいなかった。 (敬称略、つづく)
(写真は、愛知県犬山市出身の八代六郎男爵)
この年の9月1日に関東大震災が起きたが、その少し前の6月10日、
安岡は元海軍大臣、元海軍大将の八代六郎男爵の新築したばかりの自宅にいた。
「君は、王陽明(中国の陽明学の祖)についてどう思うか」
と八代大将に質問され、
「わしはこう思うが」とまずは八代の自説が展開されると
「先生、それは違います」と安岡は言葉をさえぎり、
とくとくと持論を述べ続けた。
夕方7時からはじまった会合も、ときはすでに12時近くになっていた。
さすがの八代夫人も気を遣い、安岡に、
「すでに12時近くなっております。そろそろお時間かと」と告げる。
「ハッと」気づくと安岡の前には、日本酒の一升瓶が5本空けられている。
八代が3本、安岡が2本空けた勘定だ。
「先生、今日のところは、この辺で」と失礼しようとすると、
八代は「貴様、逃げるのか」と言って、安岡を放そうとしない。
八代は夫人と問答した挙句、安岡は無事に解放された。
このとき記念にと、安岡が帰りがけにもらった徳利(とっくり)の箱には、
「与城山八代将軍轟醉于八代家持之而帰」と記されている。
訳せば、(さすがの酒豪の八代将軍も酔うだけ酔い、記念に頂戴した品)とでもいうところだろうか。
それから1週間後、安岡の自宅に紋付袴姿の御仁が現れた。
八代だ。
「安岡先生、わしを弟子にしてください」
このとき八代大将、64歳。
安岡はこのときの模様をのちにこう述懐している。
「大将は陽明学の講義を請われ、その代わりに兵法の書である『六韜(りくとう)』と『三略(さんりゃく)』を講じてもらうことを約束した。
私は陸王の学を語るとともに、大将からはハルト兵学、ジョミニ兵法論に基づく兵法哲学を傾聴した」
安岡はその後すぐ海軍大学校で1年半、
「日本・東洋古今の武士道学」と題して講義を始めた。
このときの幹事を務めたのが、のちの元帥、山本五十六・中佐だった。
安岡と山本はこの1年半の付き合いの中で、
生涯の知己としての交りを結んだ。
八代邸での一夜の酒が、のちの日本の歴史を大きく揺さぶることになろうとは、
もちろん安岡自身もまだ気づいてはいなかった。 (敬称略、つづく)
(写真は、愛知県犬山市出身の八代六郎男爵)

